きみは人生を心から楽しめているじゃろうか?もし、自信を持ってYesと言えないのであれば、今日話す人生をより楽しむ方法論を実践して、人生を幸せなものにしてほしい。どうせなら一度きりの人生、楽しく生きたいじゃろ?人生を思い切り楽しむにはコツがあるのじゃ。
もくじ
人生が楽しくないきみへ
きみは人生を楽しめているじゃろうか。自分の生き方に自信を持っているかの?
わしはきみのような者と話し、ゲーム三昧の日々が最高に幸せじゃ。
人生とは長く、山あり谷あり時には人生を楽しめない日々というものもあるじゃろう。そんなときでも、人生を楽しいものにしていく方法を実践することで、再び人生は楽しいものへと好転するじゃろう。そんな人生をより楽しむための力が身につく、人生を楽しむコツについて話をしよう。
人生を楽しむ20のコツ
人生を楽しむには様々なコツがあるんじゃ。その方法論についてそれぞれ話していくとしよう。今日からでもすぐに試してみることができる考え方がたくさんじゃ。大切なことは、これらの人生を楽しむコツをすぐ実践してみることじゃぞ。
自分の人生に対する素直さを持つ
人生はなぜ楽しくなくなっていくのか?自分の純粋な心を、自分で無意識に欺いてしまっていることが1つの要因かもしれん。一度、自信に問うてほしい。
自分の気持ちに対していつも素直で、正直であろうか?
Yesと即答できるのであればきみは何も問題はない。人生を楽しむ準備は十分と言えるの。
Yesと言えないきみは、今日このときから自分の人生には常に素直であろうとすべきじゃ。人生いろいろな選択や決断はあるじゃろうが、自分が嫌だと思ったらその気持ちに素直に従って、やらない選択を取ること。何かを衝動的にやってみたいと思ったら、今の生活や世間体を犠牲にしてでも、その欲求に正直になること。
自分に素直になれなくて、どうして人生を楽しめようかの?
ちなみにわしが言っている「素直さ」というのは、よく会社で言う「素直さ」とは別物じゃから注意してほしい。
あくまで「きみの」人生を生き、思いきり楽しみたいなら「きみの」気持ちに素直になること。それを他人から「素直じゃない」と評価されようが、そんなものは一切聞かなくてよいぞ。
他人の期待に応えようとしない
つい他人の期待に応えようとしてしまう癖があるのなら、きみは人生で何にモチベーションを感じるのか、一度考えてみるとよいかもしれん。人生を楽しむ上で大切なモチベーションが、他人に管理されているかもしれんと疑うべきじゃ。
いつも他人の期待に応えようとしていると、どうしても人生を楽しむことからは遠ざかってしまう。期待に応えられたと証明できるレスポンスが他人から自分に返ってくるまで、人生には苦痛が伴うようになる。
他人の期待に応えようとする時間を、自分の人生を充実させるための時間に使ってはどうかと、わしは思うんじゃがの。
他人に期待しない
人を信頼していると、どうしても他人に期待しがちじゃな。しかし、他人に期待するという行為は無意識のうちに意外とエネルギーを使う行為なのじゃ。
他人に対する期待を裏切られたとき、きみの心は沈んでしまうことじゃろう。他人からしたら、そもそも力を入れる気はないし、期待されても困るくらいに思っているかもしれん。
他人に期待する、という行為は無駄な体力を使うのじゃ。疲れていては、人生なかなか楽しむことはできんじゃろう。
他人を信頼することはよい。しかし、他人に期待することはやめるべきじゃ。
自分の価値は自分のみが決める
きみ自身の価値はきみが一番よく知っている。他の誰よりも、結婚相手や両親ですらきみのきみ自身に対する理解には及ばない。
社会には様々に人を評価するものさしがある。会社での給与評価や、友人関係の中で言われる「あの人はこんな人だから」なんかがあるじゃろう。人間は人にどう思われているかを気にする生き物なので、このような他人のものさしに敏感じゃ。そして、そのものさしによる評価の善し悪しに気分を左右され、落ち込んだり、喜んだりするんじゃな。
しかし、こんな評価にきみの気持ちを預けてはいけないんじゃ。
他人の評価というのは、その人の持つものさしに依存しているので人によって評価が異なる。あの人はこう言うのに、あの人は違うことを言う、という状態に振り回されては、きみの平穏なこころも疲弊してしまうじゃろう。しかも、どの評価が正しいかはわからないし、そもそも正しいものなんてないのかもしれん。
きみが「がんばれた」と思えばがんばれたのじゃ。きみが「全然だめだった」と思えば改善すべきなんじゃ。
きみの価値は、きみがすべて決めればよいのじゃ。自分で自分を評価し、その評価を高めていく。そんな人生は楽しいじゃろう。
リスクを考えすぎない
人間は変化に心の躍動を覚える生き物じゃ。そして同時に、恐怖を覚える生き物でもある。
人生において、なにか重要な選択をせねばならないとき、往々にして人は「どちらの選択肢を選びたいか」ではなく、「どちらの選択肢が安全か」という基準で選んでしまいがちじゃ。そしてその選択の多くは、変化を伴わない選択である。
人生は変化によって躍動を迎えるのじゃ。リスクを考えすぎて、変化の伴わない選択肢ばかりを選んでいては、自ら人生を楽しむ要素を毎回見逃していることになる。そんな人生は例えるなら、ずっと並行に走ってたまにカーブするくらいのゆるゆるなジェットコースターに乗っているようなものかの。
恐怖と楽しみはセットになっていることが多いんじゃ。スリル満点な人生のジェットコースターに乗って、一度きりの人生を楽しむのじゃ。
捨てる勇気を持つ
人生を最大限楽しむには、人生を楽しむ上で必要となる要素を判断して、優先して手に入れていくべきじゃな。しかし、人生の時間は有限じゃ。全部を手に入れるということは不可能なのじゃ。
つまり、人生は取捨選択をしなくてはならない。きみの人生を楽しみで満たす上で、必要のないものは潔く手に入れることを諦めるんじゃ。
捨てる勇気、やらないという勇気を持つのは意外と難しい。どうしてももったいないという感情や、後悔するのではないかという懸念が思考を支配してくるからの。
時間の使い方を他人に決めさせない
きみの人生は有限であり、きみが人生の指導者なのじゃ。時間のマネジメントはきみが行い、他の誰にもそこに干渉させてはならない。
1日中趣味に没頭すると決めた日は、外部からの干渉で時間を奪われないよう会社からの通知は切る。友人からの急なご飯のお誘いも断る。
長期的な目標のために、毎日2時間スキルを磨くために使いたいなら意地でもその時間帯に他の予定を入れさせない。
自分の時間の使い方をすべて自分の合意と納得のもとで決めることができれば、人生の計画は思い通りじゃ。1日1日を消化するように過ごすのではなく、主体的に楽しむことができるようになるじゃろう。
Noという自分の意志に嘘をつかない
きみがNoと思うならそれは正しい。きみの高性能な脳が直感的にそう判断し、それはきみの幸福に貢献しないことを理解している。
会社の飲み会や地域のつながりなど、付き合いや世間体という名目のもと参加を迫られるようなものはあるじゃろう。しかし、きみがこのようなものに参加したいと思えないのであれば、参加しないという選択が正解じゃ。「付き合い」「世間体」なんて、字のごとく主語が他人の言葉じゃ。
仕事に向かう朝に、この朝の迎え方は自分にとって正しいか自分に聞いてみる。Noという答えが出たならば、転職するでも、独立するでもいい、その意志に従った行動を取るのが正解じゃ。
いつも自分の意志に嘘をつかないということは、この社会において、とても勇気が必要なことであることはわかるじゃろう。
きみの人生を楽しむ上で必要のないものにはNoと言うんじゃ。そして、そんな人生の幸せに介入してくるものを遠ざけるのじゃ。
不要な人を人生に介入させない
人間関係においても同じだが、きみの人生に必要のない、人生の楽しみを阻害するような他人には、きみの人生に一切介入させるでないぞ。
彼らは自分の正義をきみに押し付けてきたり、きみを楽しみの少ない生き方に引きずり込もうとするじゃろう。きみの味方のような顔をしての。
「この人は違う」きみがそう思ったならその判断は正しい。その人はきみの幸せに必要ない。今日から、その人とは距離を置くことをおすすめするの。
大切な人と人生をシェアする
「この人は自分の人生において大切」きみがそう思ったなら、その判断はまた正しい。
その人には、きみの人生をシェアしてみるのがよいの。人生の楽しみや幸せ、価値観を打ち明かし、議論するのじゃ。
そんな大切な人ときみは「人生をいかにして楽しむか」という課題について、似た正解を持っていることが多いかもしれん。
お金に苦労しない
お金があれば人生を楽しめるのか、という質問に対して、Yesと言うことはしない。必ずしもそうとは限らんからじゃ。
しかし、お金がないと人生を楽しむことが難しくなる、ということは断言してよいじゃろう。選べる選択や行動に制限が設けられてしまうからじゃ。きみが人生を楽しむ方法を心得ていたとしても、お金に余裕がなくて実際にそれができないとなると意味がないじゃろう?
人生を楽しむためにはお金に苦労しないことじゃ。もし、きみが今お金に苦労しているなら、金銭面での悩みを解決することが最優先事項じゃ。
クロノタイプを受け入れる
クロノタイプというものをきみは知っているじゃろうか。人には元来、それぞれ得意とする時間の過ごし方があるんじゃ。
人生を楽しむ上で、適切な時間に適切なパフォーマンスを無理なく発揮できる力というのは重要じゃろう。例えば、夜型の人間が朝8時始業の会社に勤め毎日仕事をするとなると、本来の力が発揮しにくく、またそのような時間の使い方が適切ではないので日々のストレスも大きくなってしまうことじゃろう。
日中仕事でやる気が出ないことや、夜10時にはすっかりもう何もできないことを責める必要はないんじゃ。きみは自身のクロノタイプを受け入れ、きみにあった生活パターンを送るべきなんじゃ。
ストレスなく、パフォーマンスを最大化できる時間の使い方を心得ておくことじゃ。人生を楽しむという点で、あらゆるものごとが改善するきっかけになるかもしれんの。
たまには未開の領域にチャレンジする
人生の躍動は変化から生まれる話はさっきしたじゃろう。自ら色々なものに興味を持ち、たまには全く新しい領域のものにチャレンジしてみるのじゃ。
この「全く新しい領域」というのが重要じゃ。何か新しいことをするとき「今持っている知識や経験を活かして」という発想になりがちじゃろう。しかし、これではきみがより遠くに行くことはできない。
人は論理だけでは、自分の想定しうるところまでしか到達できない。自分の持っているものを活かしたアプローチでは、きみが想定する人生の楽しさまでしか到達することはできないんじゃ。
きみが想定できない、さらなる人生の楽しみの可能性を探しに行くのじゃ。
1ヶ月前と同じことをしない
きみが今日やっていたことを思い出してほしい。
1ヶ月前と同じことをしていたら、きみの人生は停滞している。
有限な人生を楽しむ意志があるのなら、今すぐ自分から変化を探しに行くんじゃ。「会社では職種や部署が固定だから仕方ない」と言い訳をするならば、帰ってから新しいことを始めてほしいの。できるじゃろ。
無理なときは思い切りギブアップする
ギブアップというとネガティブなイメージを抱くじゃろうが、結局それも他人によるものさしに依存しているゆえの発想じゃ。
きみが自分でギブアップを決めたのなら、思い切りギブアップしようの。全部、捨ててしまっていいんじゃ。
自分でギブアップを選択するということは、自分で「この選択を続けても人生を楽しむことはできない」と自分の基準で判断できているということじゃ。素晴らしいことだとわしは思うぞ。
自己愛を否定しない
世の中は自己愛の強い人を指してナルシストと呼ぶの。これは否定的なニュアンスで使われることが多いじゃろう。
しかし、自分を愛して何が悪いのだろうか?
自分を愛していることで発生するデメリットをわしは思いつかん。そして、自分を愛しているんじゃから、その人は人生を楽しめないわけがないじゃろう?ナルシスト呼ばわりして否定的な接し方をしてくるような他人がきみの周りにいたとしたら、彼は人生を楽しめていないことが多いじゃろうな。
きみが自分自身の人生や生き方を愛しているならば、それは人生を楽しめている証拠じゃ。自己愛を受け入れよう。
妄想癖を持つ
何でもよいので、きみが妄想しているときのことを思い出してほしい。
楽しいじゃろ?
人生においても、将来こうだったら楽しいだろうな、世の中がこうなったら楽しいだろうな、そんな風に日々妄想する癖をつけるのじゃ。
アメリカの有名な哲学者であるナポレオン・ヒルを知っているじゃろうか。彼の名言で「思考は現実化する」というのがあるのは有名じゃな。よく偉人の格言集みたいなやつにも出てくるの。思い描いた楽しい人生は実現するのじゃ。
妄想しすぎて顔が緩んでいるところを友人に見られないようにだけ注意しての。
好きなもので生活を満たす
きみは自分が好きなことに熱中しているとき、好きなことに時間をゆったりと使えているとき、純粋に人生を楽しめているのではないだろうか?
きみの基準において価値がある、どんな好きなことや趣味でも構わないので、それらで生活を満たしてあげることじゃ。本を読むのが好きなら人生の時間を読書に多く配分し、生活を読書の時間で満たしてあげるのがよいじゃろう。自分のブログをやるのが好きならば、自分の考えていることをアウトプットしたり、小説の執筆活動に時間を充てるのもよいじゃろう。
好きなもので生活を満たすために、好きではないものは生活から追い出すんじゃ。きみの生活にもキャパシティというものがあるからの。
好きなものに満たされた人生は、さぞ楽しいことじゃろう。
思考し続ける
人生を楽しむには、自分の判断基準でものごとを取捨選択し、変化を求めて行動するということをここまで話してきたの。
その上で必要なのは、思考し続けるということじゃ。「これが足かせとなって人生が楽しめていないんじゃないか」「こう工夫すれば人生をもっと楽しめるんじゃないか」と、常に人生の改善にエネルギーを注ぐんじゃ。クオリティ・オブ・ライフをどんどん高めよう。
人が人生を楽しめるのは、「楽しい」という感情がものごとに投影されるからじゃ。思考を深めるということは、ものごとの見えていない側面を探しに行くということでもあるの。つまり、思考し続けることはものごとに秘められた新たな楽しさの側面を発見することにもつながるのじゃ。人生における楽しさの総量は増えるじゃろう。
幸せを常に望み続ける
最後に話したいのは、最も重要な人生を楽しむコツじゃ。
いたってシンプルなことじゃ。
幸せを常に望み続け、望むことをやめないこと。
これが最も重要でクリティカルな要素じゃ。幸せを望む意志を放棄してしまえば、そこに楽しい人生は永遠に訪れない。
「人生は楽しくないし、自分は別に幸せになりたくもない」
この類の発想は今、この場をもって頭から追い出すのじゃぞ。
一度きりの人生を楽しもう
人生は楽しもうが、楽しまないでおこうが一度きり。今日話した人生を楽しむコツは、考え方を実践して行動に移すことが大事じゃぞ。この方法論に基づくきみの考えるアクションで、きみの人生をエンジョイするのじゃ。わしは帰ってゲームをするとしよう、人生は楽しいの。