孤独な人生を楽しむ方法とは?孤独は人生の大チャンス

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きみは孤独な人生を楽しめているじゃろうか?孤独には「寂しい」や「つらい」といった負の感情がつきまとうので、否定的に捉えてしまっている者も多いじゃろう。しかし、質の高い素敵な人生を歩む上で、孤独であることは実のところ大いにチャンスなのじゃ。今回は、人生が孤独であることの魅力やメリット、孤独な人生を生きれることで身につく考え方などを話したうえで、孤独な人生を楽しむ方法についてきみに話すとしようかの。

孤独であることのメリットとは

「孤独だと人生はつまらない」「孤独な人は人生の負け組だ」など言う人がいるように、孤独という言葉にはネガティブな印象が多いものじゃ。孤独であることそのものが悪いことであるかのような主張もあるじゃろう。しかし、わしは孤独を楽しむことができるし、孤独であることがいかによりよい人生にとって魅力的かということも知っている。まずは、孤独であることがいかなるメリットを持っているか話すとしよう。

やりたいことに打ち込める

孤独とは文字通り、他人との関係性を断っている状態なので、自分でやろうとすることに対して余計な意見などは入ってこないし、それを遮る時間的または物理的な制約もない。きみのやりたいことに思い切り時間を使って打ち込むことができるというメリットがあるのじゃ。

きみに今やりたいことがあったとしても、孤独を手に入れることができなければそのことに一心不乱に熱中することは難しいじゃろう。「そんなことしてどうするの?」「もっと仕事のスキルを伸ばすために時間を使うべきだ」といった、他人からの不必要で余計な助言が入ってくるじゃろうからの。

実は「孤独である」という状態は手に入れるのが簡単ではない。きみが仕事をしていて、何か集中を要する作業をしているときにいきなり席に来られて質問攻めにあったらきみもいらいらするじゃろ?人生に孤独な時間がないのは、この状態がきみの人生においても起こっているということを意味しておる。

新しいことを始めることができる

孤独であると、不可抗力によって自分の時間が埋まっていくということがない。何か新しいことを始めたいと思ったときに、柔軟に自分の時間の使い方をマネジメントしていくことができるのじゃ。

孤独な人は、人生の時間をどう使っていくかについて、自分で決めることができる。つまり、スケジュール表に予定を「入れていく」感覚で人生を進めることができるのじゃ。

しかし、常に誰かとの関わりの中に生きる者は、人生の時間を不可抗力的な力によって左右されてしまう状態に陥りやすい。つまり、スケジュール表の予定が「埋まっていく」感覚で人生が進んでいくのじゃ。

新しいことを始めるには、必ず一定の孤独を手に入れる必要がある。それゆえに、孤独であることは新しいことを始めるときには大きなメリットとなるのじゃ。

環境に洗脳されるリスクが少なくなる

環境は生活に馴染む。ゆえに、きみの価値観や生き方は知らない間に、少しずつ環境によって修正されているんじゃ。

孤独であることは、つまらない人間や、一緒に時間を過ごす価値のない人間の思考や教えに影響されるというリスクを回避することができるのじゃ。例えば、会社のほとんどの人が「きみがこういう態度なのはいけない」ときみを否定してきたとしよう。しかし、少なくとも日本の全人口に対するその会社の人間の意見の割合はごくわずかであることはわかるじゃろう。よって、その否定が正当である理由はない。「社会人として」という表現を多くの人間が使うとして、彼らにとっての「社会人」は「サラリーマンとして」という意味に置き換えられている。「社会に生きる1人の人間として」という意味合いではない。こういう表現を疑いなしに受け入れてしまうのは、環境による洗脳があるからじゃ。たとえ話じゃが、孤独な時間を作り、1人アフリカを旅したことのある旅人なら「社会人」をこのような定義で解釈することは絶対にない。彼にとっての社会とは、小さな日本のサラリーマン社会ではなく、真に世界という社会だからの。

環境による洗脳はきみの人生をどんどん矮小化させてしまう。孤独であることは、知らず知らずのうちにきみの思考回路がつまらない価値観によって侵される危険性を回避することができるというメリットがあるのじゃ。

意志に反した時間の使い方をしなくてよい

他人との関係性が大きい人は、常に外部からの誘いがあるの。飲み会やイベントなど、きみは本当に行きたいと思って行っているじゃろうか?

人生を楽しむという表現を、人生を楽しい時間でいっぱいにする、と置き換えてみる。飲み会やイベントのような意志に反した時間の使い方をするのは、時間単位あたりのきみの人生の幸福度を下げてしまう原因となるじゃろう。よって、人生を楽しむという点でも、上記のような外部の誘いはきみのクオリティ・オブ・ライフを低下させる原因となりうるのじゃ。

「簡単に断れれば苦労しない」と思っているのであれば、それはきみがやはり他人の人生を生きていて、孤独を楽しむことができていないということなんじゃ。むしろ、数回に1回、行きたい誘いにだけ応えていれば、誘ってもそんなに毎回来てくれるわけではないというキャラが付くじゃろう。そうなれば、断ることに対する抵抗感もなくなるし、望まない時間の使い方をすることなく、その時間を孤独という楽しい時間にあてることもできるじゃろう。

孤独であることは、きみの望む時間の使い方に沿った人生を実現する上で必要不可欠なものなのじゃ。

孤独を味方にすることで起こる変化とは

孤独と肯定的に向き合い、味方にすることで、きみは孤独な人生の時間を楽しむことができるようになる。では、孤独を味方にすることできみに起こるプラスの変化とはなんじゃろうか。きみが人生を楽しむ上で、揃えておきたいマインドセットを手に入れることができるんじゃぞ。人生は孤独との戦いだなんて考えてはいかんぞ。孤独を味方につけるのじゃ。

所属感にとらわれなくなる

いつも何かに所属している人と違い、孤独を楽しむことができる人は所属感にとらわれなくなるんじゃ。

所属感にとらわれているうちは、きみはあるコミュニティに所属していないと自分に価値を感じることができない思考になっている。何かに所属した状態でしかきみがエネルギーを発揮することができない。

きみがある程度名の知れた会社に勤めているとして、自己紹介をするときに「株式会社◯◯の〜」という自己紹介をしていないじゃろうか?聞いてもないのに自分からそのような発言をするのは、きみに会社に対する強い帰属意識がある証拠であり、きみの毎日が所属感にとらわれていることを意味しているの。

所属感にとらわれるデメリットは、所属感を喪失したときの反動が大きいことじゃ。きみは所属しているという前提のもと実力を発揮できていたので、その所属感を絶たれてしまうときみは本来のパフォーマンスで人生を楽しむことができなくなってしまうのじゃ。所属しているコミュニティにモチベーションを求める人間もこれに同じじゃ。

孤独を経験している者は、自分のモチベーションを外部や外部との関係のうちに委ねることが本質的でないことを知っている。孤独はきみを所属感というしがらみから解放してくれるのじゃ。

悩みの種のほとんどは対人関係であることがわかる

人生において悩みは尽きないものじゃな。孤独を怖いと感じ、恐れているものは人間関係を繋ぎ止めることにより孤独という悩みの種を回避しようとするじゃろう。

しかし、孤独を理解している者は知っている。人生の悩みの種のほとんどは、対人関係が原因となって起こっているのじゃ。

対人関係、つまり他人との関係性が存在するうちは、「(他人に)どう思われるだろうか」「(他人に)与えられた締切に間に合わない」「(他人の)期待に応えられない」といった、全て他人に出発点がある悩みによって人生が息苦しいものになってしまうことがある。きみも日常生活の中でこのような悩みを感じたことはあるじゃろう。

孤独のうちに生きることは、これら他人出発の悩みが全て無くなるということを意味している。つまり、孤独を楽しむということは、苦の少ない人生を楽しむことにもつながるわけじゃの。孤独を選択したものには、孤独を受け入れ、味方にするという試練が1つだけ待っている。しかしそれを乗り越えた先には、ほとんどの悩みの種が解消された状態が待っているのじゃ。

他人を1人の人間として接するようになる

孤独を経験すると、人には自分の人生について深く、主体的に考えることができる能力が備わっており、人は自らの経験則によって人生の価値観やものの考え方を作っていく仕組みがあることを本当の意味で理解する。自分について、このように考える時間ができるからじゃ。

つまり、他人もまた、それぞれの経験則によって各々の価値観を形成していることを理解することになる。他人と自分は分けられる別の個体として、それぞれが1人の人間として存在しているということを理解するのじゃ。孤独を楽しむ者は、他人を組織や環境の一部でない1人の人間として扱い、コミュニケーションをとることができるのじゃ。

きみがなにかに属していたり、心身何ものからも独立した状態になっていなければ、きみにとっての他人もまた、なにかを目的とした団体やコミュニティの1要素としてしか、肩書きとしてしかその人を見ることはできていないんじゃの。

信頼できる人間関係、本当の意味での友人を作る上でも、孤独を楽しめているかどうかというのは重要なのじゃ。

自分の人生に自信が持てるようになる

自分の人生に自信がある、という表現を分解すると、自分の人生で判断に使う経験則が地に足の着いた状態(そうかもしれない、ぐらいのふわっとしたものではなく)で、かつその経験則に基づき行動することにためらいがない、という2つの要素をクリアしていると言うことができるの。

孤独であることは、他人の判断軸に依存している状態からの離脱を意味するので、経験則は自ずと自分自身で決めたという経験を含む地に足の着いたものとなる。また、孤独であることは外部の余計な助言や時間的成約を受けることがないので、その経験則に基づき行動する際の障壁もない。

つまり、孤独な人生を楽しむことができる者は、みな自分の人生に自信が持てるようになるのじゃ。孤独という時間を通して、人生がより地に足の着いたものに、ブレない太い幹を形成するようになるのじゃ。

自分に自信がある人は人生を謳歌しているように見えるじゃろ?彼らは、みな孤独を楽しむスキルを持っているんじゃ。

孤独な人生を楽しむ具体的な方法とは

孤独な人生を楽しむようになることで、きみの人生に対する考え方がどのように変化するかはわかったじゃろう。孤独はいいこと尽くしじゃな。しかし、まだ孤独を楽しむことができていないきみもおるじゃろう。そして、孤独になることに対する不安もやはりあるじゃろう。

最後に、具体的に孤独な人生を楽しむ方法についていくつか話すとしよう。人は意識を変えるだけでは何も変わらんから、行動によって孤独を楽しむスキルを身につけていくのじゃぞ。

すべての関係を遮断する時間を決める

1週間のうち、すべての他人との関係を断ち切る時間を決めてみるのはいいかもしれんの。その時間には、きみにとって孤独という平穏な時間が訪れるわけじゃ。もう「孤独」という単語が全然否定的なニュアンスに聞こえてこなくなったじゃろ?

例えば、企業に勤めている多くの人は土曜日と日曜日が休日であることが多いな。休日の間は、会社や取引先との関係を一切断ってみる。一切関わらないという仕組みにしてしまうのが重要じゃぞ。例えば、土日も日常的に取引先との雑務や諸連絡があって、という場合でも、キメでこのように仕組み化してみると、案外週明けに対応するでも全然問題なかったりする場合も多いじゃろう。

例えば、毎日夜8時以降は一切の外部との関係を断ってみる。そうすると、毎日継続してなにかに打ち込めるための時間が確保できたりするわけじゃ。「仕事をしているから時間がない」と、やりたいことをできない言い訳にしている者は、無意識のうちに時間も意識も他人に奪われてしまっていることが多いものじゃ。やりたいことができないのはきみの時間管理が下手だからであって、言い訳に過ぎないのじゃぞ。

自ら孤独という時間を空ける工夫をすることじゃの。

1人で出来て1人で成果があがることに挑戦する

孤独を楽しむという体験は、孤独な時間を使って、自ら動いて取り組んでみたものが目に見える成果となって実を結ぶことでより充実した体験となる。まず、自分は孤独を楽しめているんだという実感を身につけることが大事なら、1人でやってみることが出来て、かつ1人でわかりやすい成果があがるものにチャレンジしてみることじゃ。

副業なんかはまさしく、自分で考えて顧客に価値を提供することで対価としてお金を貰うという構造なので、どれくらいの成果かというのが目に見えやすいじゃろう。デザインやイラスト、工芸なんかをやってみようとしているのなら、何かの小規模な展示会やイベントに出店するのを達成目標としてみるとか、成果の定義の仕方はいろいろあるじゃろう。

孤独な時間はきみが誰の干渉を受けることもなく、自由に使える時間じゃ。どんなことをするにしても、孤独をうまく利用して人生をより楽しむことができるわけじゃの。

読書をする

本は古今東西の英知の集合体じゃ。ゆえに、本を読むということは人生を楽しく、より豊かにしていく上で必ずプラスの影響を与えるものなのじゃ。

しかし、残念ながら読書というのは例外なく時間が必要となる。英知の集合体というボリューミーなものであるがゆえじゃ。もちろん、速読などテクニック的なものはあるが、総合して時間が必要であることは間違いないじゃろう。つまり、時間を確保できる孤独と、読書というのは非常に相性のいい組み合わせなんじゃ。

「孤独が怖い」「つらいから孤独にはなりたくない」という考えの者は、みな往々にして本を読んでいないことが多い。そして彼らの言う「充実した人生」は非常に薄っぺらいことも多い気がしないかの?彼らは孤独な時間を確保できないので、本を読む楽しみを知らないんじゃろう。読書は孤独を受け入れることができる者が手に入れることができる人生の豊かさなのじゃ。

読書を通じ、本の著者との対話の中に、自分の人生を見つめる機会を手に入れられることは、人生にとって大きなメリットとなるうえ、そのような時間の使い方は非常に有意義で楽しいものとなるじゃろうな。

少人数のコミュニティを作ってみる

孤独を生きる者がさらに人生を充実させるならば、孤独の価値を理解した友人と時間を過ごすことじゃ。

さっき話したように、孤独を経験している者には他人を1人の人間として接するようになるマインドシフトが過去に起こっている。つまり、孤独を理解する友人とは、お互いを1人の人間として自分とは異なる性格を持っていることを理解した上で、人生の楽しみを共有することができるのじゃ。

このような友人は、きみの時間を奪うようなこともしないし、きみが友人の時間を奪うようなこともできない。お互いが孤独の価値を理解しているからじゃ。

無差別な飲み会やイベントと違って、「◯◯会」のように、ある1つの楽しみをみんなで共有しようという試みがあるじゃろう。これは、それぞれの時間を1つの目的のためにそれぞれ提供しているという信用のもと成り立っているので、それ以上の時間的制約もないし、それ以上の人間関係の踏み込みもあまりないじゃろう。

大人数というのは、関わるのがもったいない人間や本来不必要な人間がその場にいることが多いものじゃ。少人数で、きみの人生の楽しみを共有する友人を作ることをおすすめしたいの。テレビゲームも、気の合う友人と4人でゲーム機を囲ってやるのが楽しいじゃろ?

孤独を楽しむスキルを身につけよう

孤独な人生を楽しむための考え方や方法はわかったじゃろうか?孤独になることを恐れない勇気を持って、孤独を自ら味方にして人生を楽しむスキルを身につけたいものじゃな。わしは何時間でも1人でゲームをしていられるが、これもまた孤独な人生を楽しめていると言えるのではないかの?

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