将来への不安を解消したい!人生における不安の原因と解決の思考法

\SNSでシェアよろしくじゃ!/

自分の将来に対して、自分の人生に対して、「このままでいいのだろうか…」と不安を抱くことは少なくないじゃろう。今日は、そんなきみの将来や人生に対する不安の原因を突き止めるとともに、その不安にどう向き合っていくか、不安を解消できる思考法を教えよう。

不安を引き起こす原因とは

そもそも、不安という感情はなぜ発生するのじゃろうか?

まず、きみの抱えている不安が何に起因しているのかを突き止めることとしよう。

常識や当たり前という思い込み

多くの人は、自分で設けた基準に従って判断するということが本当の意味でできていない。あるものごとを判断せねばならないときに、「これは自分でいくらか考えた結果こうだから、こう判断しよう」ではなく、「常識的に考えてそうだろう」「当たり前に考えてそうだろう」という判断を無意識のうちにしているのじゃ。人間の脳は怠け者じゃからの。

不安とは、非常に主観的であり相対的なもの。きみが大丈夫と思えば、本当は大丈夫ではないものも不安に感じないという性質がある。逆もまたしかり、本当は大丈夫でも、「常識的に大丈夫じゃない」という考えがきみの脳を支配している限り、実は大丈夫なものにも不安を抱き続けることになるじゃろう。

そして、常識や当たり前というのは、きみの経験則ではない。よって、これがきみにとって本当にそうなのかを確実に証明する方法はない。

その常識や当たり前といった不安の種は、本当に真実であろうか?世界が作り出した虚構ではなかろうか?今一度、考えてみる必要があるじゃろう。

他人による刷り込み

人には経験則に基づいた思想というものがある。「これを今やらないのは、危機感を覚えたほうがいい」「絶対にこっちを選択したほうがいい」のような言葉で、他人はきみの人生に干渉してくるじゃろう。きみはこのような考えを今まで持っていなかったので、「知らなかった…もしかして自分は今やばいのでは?」という不安に駆られることじゃろう。

このような、他人による思想の刷り込みは不安を発生させる大きな原因じゃ。そして、この原因はさらに2つに分割することができる。

本人は本当にそう思っていて、彼にとっては真実である場合と、マウンティングの手段としている場合じゃ。

どちらかというと前者のほうがたちが悪いんじゃ。彼らはそれが真実であるし、きみにとって有益であると信じているので、きみに不安の原因を刷り込み続けるような働きかけをしてくるからの。良かれと思ってやっているのが非常に救いようがないのじゃ。

後者は悪意を持っている分、判断がしやすい。「この人今、助言をしているようで自分に対する優位な立場を主張して満足していないかな?」と、疑う姿勢を持って判断してみることじゃ。マウンティングだとわかれば、きみの不安の原因になることもそうないじゃろう。その主張はマウンティングの材料でしかないことがわかるゆえ、主張自体の価値が無くなったように感じられるからの。

きみの不安の原因は、この他人による刷り込みではないかの?

であれば、不安に感じる必要はないから無視してよいぞ。

社会による刷り込み

不安は他人だけでなく、もっと大きな社会という勢力による刷り込みによっても生み出されることがあるの。大衆とは、扇動されるものなのじゃ。

「社会的にやばい」「きみもこの世の中の流れに乗り遅れるな」「将来きみの立場は危ういかもしれない」などの言い回しがそうじゃろう。テレビや新聞、それにインターネットなどのマスメディアによる発信に触れることで、「自分は社会に取り残されているのではないか」という不安を覚えることになるじゃろう。

しかし、安心してくれの。社会による刷り込みによって起こる不安は、ほとんど感じる必要のない間違った不安であるのじゃ。

なぜ、そう言えるのか?マスメディアの仕組みを理解すればよい。まず大前提として、マスメディアの発信する情報は全て「コンテンツ」である、ということじゃ。「コンテンツ」は人の興味を惹いたり、人を楽しませるものじゃろ?つまり、真実かどうかは定かではないのじゃ。

バラエティ番組がヤラセだとして、度々炎上したりするじゃろ?あれは、大衆がコンテンツの本質を理解していないから起こることなのじゃ。製作者側が一番重要視するところに「情報の確かさ」は存在していない。コンテンツはより多くの人の興味を惹き、消化されればいいのじゃからの。

だからもし、きみがニュース番組を見たり、SNSで「きみはやばい」のような投稿を見たりして、不安を覚える必要は一切ないのじゃ。情報が真実であると言える確からしい証拠は一切ない。社会による刷り込みも、不安のトリガーとなる原因の1つであると言えような。

完璧主義

完璧主義であることは、人生を苦しいものにすることが多い。絶対に自分の思い通りにしたいので、そうならなくなりそうな原因はすべて不安要素となり、しかもそのうち1つでも思い通りにならないと最終的な願いは叶わないので、不安がいくら大した事のないものでも莫大な不安へ膨れ上がる。

そして、このような完璧主義の人は、「不安を絶対に解消してやる」という完璧主義でもあるのじゃ。それゆえ、次の項目で話すが、不安を解消できないことに対する不安も積み上げてしまう結果となる。

そもそも、完璧主義というのは人生における問題や不安の原因がどこにあるのかを分別できていないことが多い。後から話す不安に対する思考法を聞いて、少しは完璧主義が和らぐといいの。完璧主義を治そうとしてはいかんぞ。治そうとする行為自体が完璧主義じゃからな。わしもかなり完璧主義な傾向はあるからな、気持ちはわかるんじゃがな。

不安であることに対する不安

不安が積もり、なかなかその不安が晴れないと、そもそも不安を感じている自分はこの先大丈夫なのかというさらなる不安を招くことがある。思考回路が負のループを繰り返しているんじゃ。

漠然とした将来に対する不安は、これの一種とも言える。無意識のうちに不安が重なることで、その不安はもともと何に対する不安だったのかという、不安の対象が不明瞭になっている状態じゃ。それゆえ、きみが漠然と不安を感じているのなら、その不安の根本的な始まりはどこにあり、どのような不安であるかを突き止めることが解消への糸口となるじゃろう。

漠然とした不安自体の原因を探すのではないぞ。その漠然とした不安は本当の不安ではなく、もっと小さな不安とその原因が隠れていて、それが無意識のうちに膨れ上がってしまったもの、これが漠然とした不安の正体じゃ。

不安を解消する10の思考法とは

不安の原因についてはわかったじゃろうか?きみの不安は、どんな原因だったかだいたい見当がついたかの?それでは、その将来や人生に対する不安を解消する思考法を話すとしよう。これから話すような考え方を持って不安と向き合うことで、きみの将来は明るく、人生はもっと楽になることじゃろう。

不安を抱くことは生存本能として当たり前

不安は、起こりうる災いを本能が予知し、そのリスクを回避しようとする人類の脳の働きであると考えることができるじゃろう。つまり、不安を感じているきみの状態はなにも問題ではないということをまず理解し、受け入れるのじゃ。むしろ、不安を全く感じないのであれば人間として脳の機能の一部が壊れてしまっている。

将来や人生に対する不安はきみの脳がリスクを理解しようとしていること、その脳の働きはきみがものごとを真剣に考えているから起こることを受け入れるのじゃ。不安は何も問題ではない。

不安の9割は起こらない

心配事などの不安の9割は実際に起こらないんじゃ。不安は人生のリスクを察知することだとさっき話したが、人間の脳は優秀じゃからの、ささいなリスクも見逃さずしっかり捉えて不安を作り出すじゃろう。

「そんなわけない、起こりそうだから不安を感じるんだ」と言いたくもなるが、事実として不安の9割は実現しないんじゃ、頭では理解しておこうの。

漠然とした不安は人生のチャンス

将来や人生について漠然とした不安を感じるとき、それはその漠然とした不安より小さなところで何か日常に引っかかりを感じていることを意味するんじゃ。

不安は最高のきっかけじゃ。人生の契機であることに間違いない。その不安を感じたことを、祝福しよう。

不安の最も根元にある原因を突き止め、行動するんじゃ。きみの将来はきみの抱いた不安によって大きく変化を迎えるじゃろう。

行動で脳の容量を埋め尽くす

人間の脳は暇なときに不安を覚えるんじゃ。不安を探しに行くための容量が脳に残っているからじゃ。

であれば、不安を抱けないように脳の容量を他のことで埋め尽くしてしまえばいいのじゃ。

何かに熱中するでもよいし、将来の展望のためにステップを踏み出してもいい、簡単なのはとにかく行動を起こすことじゃ。行動は肉体的にも、精神的にも多くのエネルギーを要するので、脳が不安にリソースを振っている余裕などなくなるのじゃ。

きみが不安をたくさん覚えているのなら、「あ、自分って今暇なんだ」と思うようにするのじゃ。そうすれば、不安なんて感じていないでなにか行動しようという気になるかもしれんの。

不安に支配される時間の消費を考える

不安でどうにも将来塞がれているような気持ちになっているとき、人生の時間は無情にも過ぎ去っていく。そんなとき、「こうして不安に悩んでいる間にも時間は過ぎていっているんだ、不安を感じるだけ時間がもったいない」という思考をしてみよう。不安を感じることに対する考え方が変わるはずじゃ。

不安に感じたら10分悩んでみて、不安の原因と解決法を探しても見つからなければ、探そうとする時間がもったいないので不安に脳のエネルギーを使うことをやめる、など、自分でルールを作ってみてもいいかもしれんの。

不安の原因を切り分ける

完璧主義は不安の原因の在り処を分別できていないとさっき話したが、これは不安の原因を切り分ける思考ができるようになれば解消される問題じゃ。

不安を引き起こす原因は、内部と外部にある。そして、不安に対して行動することで解消できるのはこのうち内部にある原因だけなのじゃ。

例えば、「このままこの職場で働いていて将来豊かな人生が送れるのだろうか」と思ったら、転職するという行動をすることでこの不安は解消できるじゃろう。しかし、「高齢化社会で、自分が年金を貰うような年齢になったらもう年金は底を尽きているかも」といった不安は原因が自分の外部にあるので、なにか行動して解消するということが基本的にできない。完璧主義の人は、このような外部に原因があるものにさえ不安を抱くのじゃ。

不安の発生源はどこか、しっかり切り分けて考えるのじゃ。そして、原因が外にあるものは不安を感じてもどうしようもないことを理解するのじゃ。無駄な不安に人生のエネルギーを使うでないぞ。

この思考法ができれば、不安を解消するまでもなく、抱いていた不安のいくつかがそもそも不可抗力的で理不尽なものであったことに気づくじゃろう。それがきみの思うようにならなくても、きみは関係ないし、不安を感じるゆえんも全くないんじゃ。

他人に劣る要素は確実にあることを認める

「同じ年齢なのに、彼は自分より遥か上を行っている…自分はこのままで大丈夫なのか」と不安に思うことがあるじゃろう。

人間の能力には無数の要素があり、その要素それぞれが、ある人に対しては優れているし、ある人に対しては劣っているということを理解することじゃ。

ないものねだりから来る不安とも言えるじゃろう。きみのその不安はそもそも本質的に必要な不安じゃろうか?例えば、3歳からずっとピアニストになることを目標にして切磋琢磨してきた人と比較して、ピアノ歴3年のきみが「同じ年なのに自分より遥かに上手い…自分はなんて上達が遅いんだ、このままではピアノを仕事にすることは叶わない」と不安に感じるのは論理的におかしいのじゃ。

きみにはきみの優れた点があるし、他人には他人の優れた点があるのじゃ。きみはまだ外部による刷り込みや影響から逃れられていない。自分の判断軸で生きるのじゃ。

仕組み化で不安に立ち向かう

「不安を感じないでおこう」「不安に意識を向けないようにしよう」と思ったところで、断言するがその実現は不可能じゃ。意識を変えるだけでは、行動や本能が伴わないのですぐもとの意識に戻ってしまうの。

将来や人生の不安に立ち向かうには、立ち向かえる仕組みを作ることじゃ。

不安を感じたら、その不安を頂点としたツリー構造の図を作り、本当の不安の種はどこにあり、どうやって解消することができるか考えるようにするという習慣をつけるのも1つじゃろう。不安を感じたら、その不安の原因は自分の内か、外か、を毎回自分に問うようにするのも1つじゃろう。

人間は意識を変えても何も変わらん。環境や行動を変えることじゃ。

不安を過大評価しているか判断してもらう

不安とは無意識のうちに本質的な原因から離れ、どんどん膨れ上がってしまうものじゃ。これまで自分で不安に立ち向かう方法を話してきたが、時には他人に協力してもらうことも考えよう。

不安は主観的で相対的なものなので、自分の認識のもとにはその不安がリスクの大きさとして正当であるかという判断をすることができない。よって、家族や友人、恋人の視点を求めることも時には必要じゃろう。

将来や人生に対する不安を打ち明けてみてほしい。「なるほどね、どうすれば解消できるかな」と一緒に考えてくれるようなら、その不安はおそらく適切なインパクトがある不安じゃろう。一方で、「そんなこと気にしてるの?」のような反応が返ってきたら、きみは不安を過大評価して膨れ上がらせてしまっているということじゃ。「他人事だと思って」なんて思考をしてはいけない。他人事だから、客観的に判断できるのじゃ。

相談してみたら、案外不安は大したリスクではないのかもしれんぞ。話すだけですっきりした、なんてこともあるじゃろ?将来や人生の不安を解消する方法として、信頼できる人と関わりを持っておきたいものじゃな。

長期的な不安は完全な無駄

長期的に、5年後や10年後の未来を考えて不安を感じている者がいる。

はっきり言って、かなり先のことを不安に思うのは完全な時間の無駄じゃ。

将来の展望も、老後のことを心配したりするのは無駄でしかないことを理解する必要があるぞ。なぜかというと、そんな先の未来において、事態がどうなっているかを1人間の脳が正確に把握することはできないからじゃ。つまり、不安を抱く行為自体が、起こりうるリスクを認識するという本質的な性質をほぼ失っている。

先の未来において、世の中がどうなっているかなんてわからんじゃろ?つまり、10年後にきみに都合が悪いことが起こったとしても、それは原因の切り分けで言う外部に原因があるものなのじゃ。不安に思っても仕方がないんじゃぞ。

不安という感情とうまく付き合おう

不安は、他の生物とは異なり、人類がここまで発展するためにあるべくして存在しているものなのかもしれん。不安を覚えている自分を受け入れ、その不安をチャンスだと理解し、解消のための行動をすることじゃ。この先の将来や人生に対する不安は、きみの脳からきみへの贈り物なのじゃ。

\SNSでシェアよろしくじゃ!/