人生はクソゲー?神ゲー?20の理由と答え

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人生は果たしてクソゲーなのだろうか?それとも神ゲーなのだろうか?生きていて「人生ってほんとクソゲーだわ」と思ったことがあるきみも多いじゃろう。今日はこの人生クソゲーor神ゲー議論について、その理由と考え方をもとに答えを探しに行くとしよう。わしはクソゲーも神ゲーもすべて愛しているぞ。

クソゲー・神ゲーとは

「クソゲー」とは、評価するに値しないクソと言いたくならんばかりのゲームのことじゃ。同じような表現だと「ゴミゲー」などとも言ったりするな。世の中のゲームが「クソゲー」に分類されてしまう理由は様々じゃが、理不尽なまでに勝機がないようにボスの強さが設定されていたり、1回失敗するとセーブポイントが無くてやり直しに数時間かかったり、ソフトの値段に対してストーリーが短すぎて10時間ほどでクリアできてしまったり、などが例としてあるの。

「神ゲー」とは、すごいことや最高であることを「神」「神ってる」と言ったりするが、これと同じように、想定や期待値を遥かに上回ってきたり、プレイを通してすばらしい体験をしたと感じることができるゲームのことを指す。レベルの上昇とともに絶妙なバランスで敵の強さも上がってくる、グラフィックがすごくきれいなのに全然重くならない、追加要素が課金無しでアップロードされ続ける、などは神ゲーの例じゃろうな。

人生はクソゲーなのか神ゲーなのか

今日考えたいのは、人生はクソゲーなのか、それとも神ゲーなのかということじゃ。言い換えれば、人生が今説明したようなクソゲーや神ゲーの要素をどれほど持っているかということじゃな。では、人生がそれぞれクソゲー・神ゲーかもしれないと言える理由を見ていくとしよう。

人生がクソゲーである10の理由

まずは人生がクソゲーである理由を話していくとしようかの。人生散々な目にあってきたきみもこれを読んでいるかの。幾度となく「人生はクソゲーだ」と思ったこともあるじゃろう。

キャラメイキングが自動

キャラメイキングは、キャラの見た目や職業を選べるゲームの醍醐味の1つじゃ。しかし、人生はこの世に生まれ落ちた瞬間にこのキャラメイキングの過程をすでに神が終えておる。ランダムに設定された見た目や強さで人生をプレイしてくれ、ということじゃ。なかなか理不尽じゃの。数百時間やり込む予定のゲームですら、ハゲのキャラクターにされたり、ネタ要員みたいなボイス設定にされるのはわしもかなわん。

全イベント強制セーブ

人生はすべての秒において強制セーブされる仕組みじゃ。そして、手動でセーブするという機能はない。よって、過去のあるセーブポイントに戻るということも、今からの行動はセーブしないでやってみる、ということもできない。思い通りにいかなかったら電源を落とす予定でセーブして、街にあるカジノでスロットを資金が尽きるまで回すということはできないわけじゃの。

セーブデータのスロットは1つだけ

人生=唯一のセーブデータじゃ。途中でパラレルワールドのように他のジョブになっていたり、違うキャラで進行しているストーリーをプレイすることはできない。たくさんの隠しイベントや解放イベントがあれど、それらをすべてプレイすることは絶対にできないのじゃ。

攻略本がない

ゲームがある程度決まったストーリーに沿って進行していくのに対し、人生は決まったストーリーというものがない。よって、万人に役立つ攻略本というものも存在しない。しかも、ある一分野で攻略本があったとしても、3000円くらいで手に入るようなものでもないし、書店に売っているような入手が簡単なものでもない。「ゲームを楽しむ」という点では攻略本を使うのも1つの手じゃからの。楽しみ方が1つないのは人生の難しいところじゃ。

強さが数値で見えない

いくら成長しても、自分が今どれくらい成長しているのかということは明確に数値で見えない。レベルアップした気がするけど、本当にレベルアップしているかは分からないのじゃ。人生がクソゲーである理由として、これだと今自分がやっていることが本当にあっているか分かりにくいということがあるじゃろう。「あるモンスターを何回倒すごとに攻撃力が1上がる」が現実では、「ある作業をたくさんすると年収が割とあがる」ぐらいの不透明さになるわけじゃ。

永遠に毒状態

人生はいつでも毒状態じゃ。こうしてきみがわしの話を聞いているときにも体力は減り続けておる。ベッドの上で体力を回復しないと体力が0になってしまうんじゃ。非常に人生をクソゲーたらしめている要素だと思わんか?やり続けたい、と思っても不可抗力の毒で強制ストップされるのが人生じゃ。

ストーリー分岐が無数かつ1つしか選べない

人生は分岐が無数にある。大きな分岐で言うと、どこに就職するか、誰と結婚するか、結婚しないのか、などじゃ。しかし、もっと小さな分岐でも毎日何を食べるか、どうやって過ごすかという選択が無数にあるのじゃ。しかも分岐のうち一方を選んだところで正解の目安となるフラグとか立たないからの。実感が分からなすぎて途中で飽きてしまうきみもいるじゃろう。クソゲーじゃ。

道案内NPCがいないことが多い

RPGだったら「この先は魔物が住む巣窟よ」とか、「この街を北に進んだところに病を治す医者がいるという噂じゃ」とか、丁寧に次のイベントが発生する場所を教えてくれることが多い。わざわざ主人公の行く手に陣取ってくれておる。しかし、人生はこんな「道案内NPC」は行く手に親切に陣取ってくれてはいないし、出会えたとしてもその者の言うことが真実かどうかも分からない。ゲームをやっていて「え、次は何をすればいいの?」という状況になる作品があったりするが、だいたいその部分はクソゲー判定されておるからの。

仕様がある日突然改悪アップデート

人生は外部のエネルギーに受ける影響に左右されやすいのに、このエネルギーが改悪することが多い。税金が増税したり、年金の取得できる額が減ったり、いきなり会社が倒産したり、すべてきみの問題ではないところでの改悪アップデートじゃ。これは理不尽極まりないし、人生をクソゲーにする大きな要因じゃ。

ゲームクリアの概念がない

人生にはゲームクリアという概念がない。人生は死ぬ以外、物理的に終わりを迎えることはないからじゃ。死ぬ以外終わりがないので、残念ながらクリア後のエンドロールも見れない。達成感に浸れないわけじゃ。ゲームもクリアが見ていないとプレイするモチベーションにならないじゃろ、人生もモチベーションを保つのが難しい点でクソゲーと言えるのかもしれん。

人生が神ゲーである10の理由

人生はことごとくクソゲーの要素を持ち合わせているのかもしれん。しかし、人生が神ゲーであると主張する者もいるじゃろうし、わしも人生を神ゲーたらしめているものがあると思っておる。人生が神ゲーである理由を話そう。

ステータスに上限がない

ゲームはカンストと言って、それぞれのステータスに上限の数値が決まっておる。レベルは100が上限だったり、攻撃力は999が上限だったり、という具合じゃ。しかし、人生のステータスには上限がない。成長に天井はなく、収入や幸福感といった人生を豊かにするものにも上限がないのじゃ。きみはいくらでも幸せになれるということじゃぞ。神ゲーでしかないの。

NPCのセリフが毎回違う

きみの人生において、きみを除く全ての生物(人間含む)をNPC(ノンプレイヤーキャラクター)だと考えてみる。きみの人生におけるNPCは毎回話す内容が異なるのじゃ。これは神ゲーじゃろう。話しかけるたびにNPCのセリフが変わるようなゲームがあったら、いつも新鮮な気持ちでプレイできるじゃろうし、イベントも無限じゃ。そんなゲームがあれば、紛れもなく神ゲーじゃろう?

致命的なバグがない

たまにバグなどで、必須イベントを無視して次のダンジョンに行ってしまうと後戻りもできず次のイベントも発生しないというクソゲーがあるが、人生でこの状況は起こりえない。必ず、1日は過ぎていくのじゃ。そう考えると、絶対にバグを起こさない神ゲーと捉えることができるじゃろう。

セーブデータが消えない

これもバグがないことに近いが、人生は記憶障害になる場合を除き、どうやってもセーブデータが消えることはない。どんなに重大なミスを犯しても、築き上げてきたものが無に帰ることはないのじゃ。ある状態でイベントを経験するとセーブデータが吹っ飛ぶなんてクソゲー要素はないのじゃ。

ストーリー分岐が無数にあるので飽きない

人生のストーリーは無限に分岐しておる。そして、すべての分岐をきみの手で選ぶことができるのじゃ。選べないというきみは、きみが選ばない理由を作っているだけじゃからな。いつまでやっても見たことのない選択肢が無限に広がり、一向に飽きないようにできておる。神ゲーと言えるかもしれんな。

既存にないものを生み出すことができる

リトルビッグプラネットシリーズマリオメーカーなど、自分でゲームを作ることができるゲームはことごとく神ゲー認定されておる。やろうと思えば永遠にゲームを楽しむことができるからじゃ。人生は様々な人が、日々新しいものや概念、仕事を作り出しておる。きみも自らの手で新しいものを作り出すことができる人生は神ゲーなのじゃ。

新要素が無限に解禁される

人生は日々、新要素がどんどん解禁されていくのじゃ。しかも多くの場合、課金なしでじゃ。人生というゲームの運営である神はなんて慈悲深いのじゃろうかの。そこまで新要素をどんどんアップデートしてくれるゲームがあったら、わしは資金をいくらか恵んでやりたい気持ちにもなりそうじゃ。

この世で1番広いオープンワールド

人生は、どんな神ゲーよりも広いオープンワールドのゲームじゃ。オープンワールドはできることの豊富さやグラフィックの鮮明さ、マップの広さが評価の基準になったりするが、人生というゲームに対し、いずれの要素でも勝てるゲームは存在しない。神ゲー認定じゃ。

収入が増えてもお店の値段が上がらない

ゲームでレベルが上がってきて手に入るお金の単価が上がってくると、宿屋やアイテムショップの値段が以前と同じものを提供しているのに高くなってくるじゃろ?理不尽じゃの。人生にあの要素はない。つまり、自分の収入が増えれば増えるほど、日々の生活の負担が軽くなってくるわけじゃ。もちろん、収入の増加に応じて生活水準を引き上げる場合は別じゃがな。

一切処理落ちしない

人生は一切処理落ちしない。どんなに絶景を見ても、どんなに速い速度で人生いろんなことをやってもじゃ。最高品質のコンピュータが積まれておる。体験すること、経験することのすべてをフルスペックで感じることができるのじゃ。

人生をクソゲーにしているのはきみかも

人生がクソゲーである理由と、人生が神ゲーである理由を話してきた。しかし、ここで1つ気になることは、現象は同じ要素なのにクソゲー判定されるものも、神ゲー判定されるものもあるということじゃ。つまり、人生をクソゲーにしているのはきみの捉え方なのかもしれないということじゃ。

作業ゲーはつまらない

「人生は作業ゲーだからクソゲー」と考えている者もおるじゃろう。毎日同じ仕事をし、同じような休日を過ごし、また1年が過ぎていく…作業ゲーはつまらないじゃろうな。しかし、考えなければいけないことは、人生を作業ゲーにしているのはきみであるということじゃ。作業ゲーがクソゲーだとわかっているならそのゲームを止めてしまえばいいのじゃ。無限に分岐して選択できるのが人生の神ゲー要素だからの、これができれば人生神ゲー化するじゃろう。

無理ゲーは無理ゲーじゃない

クリアが困難な無理ゲーもクソゲーの一種だが、これは無理ゲーだと思われているから無理ゲーなのじゃ。自分でやってみて、クリアできたら結果的に無理ゲーじゃなくなるということを意味する。「人生は無理ゲーだから」と言う者は、まだ何もやれていないし、何もやろうとしない者であることがほとんどじゃ。クリアしてみたら、「適切なタイミングで適度な難易度のボスを出してくるバランスの調整された神ゲーだった」と言う者をわしは今までたくさん見てきたの。

クソゲーも神ゲーも捉え方次第

人生をクソゲーにするか、神ゲーにするか、きみが決めればいいのじゃ。きみが人生をクソゲーだと思えばクソゲーだし、人生はそれ相応のクソゲーになる。きみが人生を神ゲーだと思えば神ゲーだし、人生をそれ相応の神ゲーになる。どうせなら、いいゲームをプレイしたいものじゃな。

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