人生の選択を迷わず正しくシンプルに決断する方法

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ここを訪れたということは少なからずきみは何かしらの人生の選択を迫られているのじゃろう。そんなきみに今日は人生の選択を「迷わず」「正しく」決断するいたってシンプルな方法を話そうかの。

きみは人生の岐路に立っている

きみは今、人生の岐路に立っているのじゃ。人生の選択とはなにか、そして人生の選択はなぜ難しいのかについてまず話していくとしようかの。

人生の選択とは

人生の選択とは何かの。ことの大小はあれど、それはきみの今後の人生のあり方を左右する選択のはずじゃ。こういう選択は多くの場合、選択肢は2つなのじゃが、場合によっては3つ以上ということもあろうな。人生を左右する重大イベント、そうじゃな例えば、結婚や就職、大学受験なんかがわかりやすいかの。他にも引っ越しだったり、家や車などの購入もあるかの。

なぜ人生の選択は難しいのか

人生の選択をするとき、それはきみに大きなストレスを与えるじゃろう。そしてそのストレスがゆえに決断に時間を要してしまう。その上、決断が正しいかどうか、決断した後でも思い悩み続けることにもなるのじゃ。きみが決断したところで社会から「きみの決断は正解!」なんてリアクションは返ってこないからの。

しかし確実に言えることは、「決断しない」という選択肢を取ることは100%間違いであるということじゃ。短絡的に選択から逃げるなと言っているのではない。それでは全く現在の状態から進展がないからじゃ。決断に向かうのがプラスなら、進展がないのはプラスマイナス0だと思ってはいかんぞ。「時間」というこの上なく貴重な資源が刻一刻と失われておる。停滞はマイナスなのじゃ。

人生の選択に関する5つの間違いとは

世の中には人生の選択をする上でいろんな方法が噂されてるがの、そもそも前提が間違っているものが多いのが正直なところじゃ。まず人生の選択をする方法の話をする前に、人生の選択に関しての間違いを指摘しておこうかの。

正解を求める

「正解の選択肢はどっちだろう」と思い悩む時間は無駄じゃ。人生の選択に正解などない。「正解がある」と言う者は、彼が「正解だと認識している」に過ぎないのじゃ。つまり、ある個人にとって主観的に「正しい」選択肢はある。しかし、「正解」、つまり絶対的に正しい「解」はないのじゃ。ちょっと難しいかの。ひとまず、なんでも正解があると思っている癖を直さねばの。真面目なことは絶対にいいことではあるが、受験勉強のしすぎも禁物じゃな。

選択の間違いは絶対的事実

きみが過去にした選択を「間違いだった」と感じているとするじゃろ。ここが重要なのだが、それは「今」のきみにとって相対的に「間違い」なのじゃ。「正解」がない以上、絶対に「不正解」という選択肢もまた存在しないんじゃの。だから「あの時、あんなふうに考えて失敗(=今の自分の考えうる範囲での間違い)したから今回は同じような失敗はしない選択肢を取りたい」と考えるのは実はあまりよくないのじゃ。根拠となる母数が1つしかないじゃろ。

ただし、「いろいろ間違いはあったけど結果的にはよかった」という考え方には注意じゃ。自分の現状を受け入れるがための言い訳に使っていることがあるからの。

後悔する前提で考える

後悔というのは結果的にするものじゃ。最初から後悔するだろうと考えるのはあまりよいとは言えん。「後悔するかもしれない」という発想は、選ばなかった選択肢を選んでいた場合に得られたであろう機会を損失することに対する恐怖じゃ。みな、これは容易に認識できるのじゃが、こう考えることもできるのではないだろうかの?「後悔するかもしれない」と考えた結果、本来とろうとしていたある選択肢を選ばなかったとしよう。この時、同じようにその選択肢を選んでいた場合に得られたであろう機会を無意識のうちに損失しておるのじゃ。人生は難しいの。選択をするときに、後悔する前提で考えることに結果的な意味はないのじゃ。

名言や占いに頼る

人生の選択に限らず、迷ったときに偉人の名言や占いをあてにしようとする気持ちはよくわかる。しかし、このような名言や占いの結果をもとに人生の選択をしてしまうと、後にきみの思い通りでなかった場合に言い訳ができてしまうのじゃ。「あの名言や占いを信じたのに」という風にな。人生の選択とは決断を下すことじゃ。決断には責任が伴うの。自らの責任で選択するのじゃ。自らの責任で人生の選択をすることで、自ずとその選択が意味のあるものになるはずじゃ。

他人の助言に従う

他人の助言はとてもありがたいものじゃ。文字通り「助ける」「言葉」じゃからの。しかし、助言とは常にその人の主観的な色眼鏡を通してきみに告げられるのじゃ。つまり、その選択肢はその人の考えうる範囲でふさわしいのであって、今のきみにとってふさわしいとは限らん。それに、名言や占いと同じように後に言い訳ができてしまうのもよくない。他人は他人でしかないのじゃ、きみの人生の選択に責任を持っているなんて思ってはならんぞ。

シンプルに決断する方法とは

では、どのように人生を選択し、決断すべきか。考え方はいたってシンプルじゃ。

それは、「ゲームの選択肢として考える」ことじゃ。

「人生の選択をゲームの選択肢のように簡単に選べたら苦労しない」と言いたげじゃな。あくまでシンプルに決断する方法じゃから、1つの方法論として捉えてみてはどうじゃろう。実際のところ、きみが人生の選択を難しくしすぎているのかもしれんぞ。では、なぜこの方法で決断すべきなのかを話そう。

すべての因果が排除される

ゲームの選択肢を選ぶときのことを想像してみてほしい。きみは部屋のテレビでRPGをしていて、とあるダンジョンの奥地にたどり着いた。そこで以下のような選択肢を選ぶ場面が訪れる。

目の前の壁画の隙間からは奥の通路が見える。天井はもろく、壁画を突き破ると今にも天井が落ちてきそうだ。
► 突き破る
  何もしない

きみはどちらを選ぶじゃろうか。ほとんどは「突き破る」を選ぶはずじゃ。実際にプレイしているように想像しながら話を聞いてほしいのだが、直感がそうさせるじゃろ。「突き破る」を選択するまでに1秒とかからないはずじゃ。ゲームの選択肢として考えてみると、他の考えなくていいことやすべての因果関係を頭の中から追い出して選択することができるのじゃ。そして、それは脳が導き出した本質的な解答なのじゃ。

未来から逆算する

ゲームの選択肢を選ぶ時、そんなに深く迷うことはなく、決定は瞬間的じゃろう。しかし、その一瞬のうちにきみの脳は未来からの逆算思考をしているのじゃ。つまり、どっちの選択肢を選んだほうが自分にとって正しいと言える未来が待っているかを直感的に判断しているのじゃ。本質的でない要素をすべて除外した上での。つまりさっきの例で言うと、「何もしない」を選ぶより、「突き破る」を選ぶほうが総合的に考えてよい未来のある地点に到達できる、と判断しているのじゃ。直感と勘は違うぞ。直感とは無意識のうちに見えないきみのロジックによって弾き出されているのじゃ。

人生の選択肢で考えると

人生の選択とは例えば結婚や就職、高級な買い物なんかがあると最初に話したの。では、これらをゲームの選択肢として考えるイメージトレーニングをしてみてほしい。

目の前には彼女がいる。正直趣味やファッションは好きではないが大好きな彼女である。
► 結婚する
  結婚しない

内定を2つ持っている。
► 年収400万 やりたかった仕事
  年収800万 5年間興味のない仕事

3000万円の高級スポーツカーが明日まで1000万の特価になっている。憧れの車。最低の生活費を除き、大枚をはたけば購入のサインを一筆可能。
► 買う
  買わない

これは「►」がある方が正解とかそういうものじゃないからの。あくまでもイメージトレーニングの材料じゃぞ。シンプルに選択をする方法がなんとなくイメージできたかの?人生はシンプルに考えるほどよいのじゃ。

きみはまだ決断すらしていない

そもそもの話じゃがの、決断した後が一番大事なのじゃぞ。その点きみはまだ決断すらしていない。スタートラインに立っていないのじゃ。スタートラインに早く立ったほうがわくわくしないかの?シンプルに選択すること、それが「迷わず」「正しく」人生の選択をするたった1つの秘訣じゃ。

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